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総本山 長谷寺       

                                        
  
  
 
                               顕法寺の沿革 
                



総本山 長谷寺 
顕法寺は正式には 町田山 東福院 顕法寺 と言います.

 
 顕法寺本寺の本堂
町田山は山号、東福院は院号、顕法寺は寺号ですが、通常は顕法寺
の寺号で呼ばれています。本尊は聖観音菩薩で厨子に入っており、
左に毘沙門天、右に不動明王の二体の脇士を従えています。
顕法寺は真言宗豊山派に属しています。
真言宗豊山派の総本山は【花の御寺、牡丹の御寺】として知られている
奈良県桜井市初瀬にある長谷寺です。本堂は京都の清水寺と同じ舞台造
りで国宝に指定されています。
真言宗は平安時代、唐で恵果阿闍梨から真言密教 を学んだ    
 【 弘法大師 空海  】によって開宗されました
弘法大師は高野山に金剛峯寺という壮大な寺院を建立し、今でも多くの 
人が訪れる一大聖地です。
  顕法寺の本寺は新潟県上越市吉川区顕法寺にあり、今から910年以上   



上杉謙信公の
土地の寄進状




上杉謙信公の
寺領安堵状

     弘法大師像
  


 
    顕法寺本尊
     聖観音
前の平安時代の後期、天仁年間創建された大変古い歴史を持つ寺院です。 
顕法寺が所在する集落の地名は今でも顕法寺という地名で残っています。 
往昔は当寺所在地一帯の耕地山林を領し、代々の住職は専ら民業を奨励
し山地の開拓指導に努め、徳化を布き、人心を作興しました。
戦国時代、天正年中に上杉謙信公が顕法寺の山内の高地を利して更に
築城すると、顕法寺に付近の広大な耕地を寄進しました。
今も顕法寺文書の中に上杉謙信公の土地の寄進状と寺領の安堵状が
残っており、上越市の指定文化財になっています。
天正11年( 1584)豊臣秀吉の時代、大阪奉行所から、顕法寺領内一
帯の山地伐採の禁止を命ずる制札の下付、慶長10年に領主堀若狭守、
慶長16年には領主松平上総守から寺領安堵状の下付があり、寺運が大
いに繁栄しましたが寛永9年(1632)春、雷による火災のため本
堂、庫裏、寺宝、経典、古典など一切が灰燼に帰してしまいました。
慶安(1648)に入って法印實祐は焼失した諸堂再興に務め、本堂、
庫裏、蔵などを再建し、中興開山と呼ばれています。この後の歴代住職
は法印實祐の遺志を受け継いで寺門興隆に努めまし
明治になって神仏分離、廃仏毀釈の嵐にさらされ、又、太平洋戦争後の
農地解放によって大半の耕作地を失い、現在は境内地、墓地、山林とわ 
ずかな耕作地を残すのみになってしまいました。 
顕法寺本堂を下った顕法寺集落内の平地に顕法寺米峰堂が建っています
平成28年に現住、雅照僧正が新たに建立したもので、顕法寺の本尊
聖観音が安置され、毎年4月8日、お釈迦様の誕生日をお祝いする
「花祭り」の日に合わせて、本尊聖観音のご開帳法要を行っています。
東京都北区上中里2-19-5には顕法寺別院があり、現在の実質的な
寺院としての活動は、東京の顕法寺で行っています。
 
顕法寺の山上には顕法寺城址があります。
顕法寺城の歴史は古く、南北朝時代の歴史書にはすでに顕法寺城が登場
しています南朝方の越後守護、上杉氏の城でしたしかし戦国時代にか 
けての戦乱に巻き込まれて、度々戦場になり戦火で城とともに顕法寺も焼
けたりもしましたが、顕法寺は歴代の住職の努力と地域の人々の協力によ
って、その都度再建されました。  
南北朝時代、足利尊氏と弟の足利直義の不仲が表面化し、直義は尊氏 
打倒の兵を挙げました。越後守護上杉憲顕は直義に味方して越後尊氏
と対峙峙し、顕法寺城に挙兵しました。しかし尊氏方の風間長頼、村上
  隆直の軍に敗れ六角峰城、柿崎城で交戦しましたが風間、村上軍に敗れ
  降伏しました。
  これが「顕法寺城の戦い」として歴史書にも出てくる「いくさ」です。
  上杉謙信公の庇護のもと、顕法寺城には毘沙門天が安置され、顕法寺が
  その祭祀を行っていました。しかし慶長3年(1598年)上杉景勝が
  会津に移封されたあと、顕法寺城は廃城となりました。  
  今は、往時を偲び毎年、城址で狼煙上げの行事が行われています。